2008年11月9日日曜日

1999-2000年の構想

時は1999年。「ところで、久保さん。次のプロジェクトなんだけどさぁ。」と、まだSFSの編集長を一年もやっていない状況で話がでた。「豊平にある研修施設がまるまる空く」「クリエーターの為のインキュベーション施設をつくりたい」「新産業の創出事業」と、一大プロジェクト構想を話された。まだ、「ちえりあ」に機能を移す前のその札幌市教育研究所を見学に行き、何んとなくその後出来上がろうとするICCのイメージを浮かべていた。

翌2000年。札幌で開催予定の国際的なMIX2000という音楽イベントの視察の為に、テキサスのオースティンで行われるSXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)へ札幌市のM氏と一緒に行くことになった。今でも覚えているが、羽田から成田までのバスの中で、M氏と新しいクリエーターのインキュベーション施設についての構想を色々話した。図書室をクリエイティブ・アート系の本で埋めて知識の共有をはかるとか、世界一流の人間を呼んでワークショップを行うなど。今のICCの構想はこんな何気ないところからの理想と追求から生まれたのだ。

そして、その流れの中で2000年は大きな変化の時だった。
その年、東京で行われたtomatoワークショップのワンデーセミナーに参加。tomatoスクールの構想をもっていたスティーブ・ベイカー氏とは、そのワークショップに参加したことが運命の出逢であった。その時、彼には札幌でクリエターのインキュベーションセンターを作るという話をさせてもらった。その後、彼は直ぐに話に反応してくれて札幌まで視察に来てくれた。その時のICCの構想はtomatoスクールの構想とかなり近く、また互いに影響を及ぼしていた。

当時、SFS(サッポロ・フューチャー・スクエア)の編集長を行いながらの構想だったが、その事務所はIB<インターネット・ビジネス>センター2(IB2)というコードネームだった。そして未だ名もないICCの場所はIB3よんでいた。その年の10月下旬に、ちょっとした事故でNTT札幌病院に入院。その間、インターネットを駆使し、病院で時間をたっぷり使い、新しく生まれようするこのクリエイターのインキュベーション施設のネーミング、ロゴ、事業計画などを練っていた。このときにほとんどのディティールが出来上がった。
>>>つづく

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